BOEING (MCDONNELL DOUGLAS) DC-10


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概要

DC-10は、アメリカのマクダネルダグラス(現ボーイング)が開発した中型三発機である。
ダグラスとして初めてのワイドボディ機であり、「DC-8, DC-9に続く機種」としてDC-10と命名された。
垂直尾翼を貫くように配置されたセンターエンジンと、直線的で大きな主翼・水平尾翼による無骨なフォルムが特徴である。
1970年から1988年にかけてアメリカ軍向けのKC-10を含め446機が生産された。
時刻表ではIATA機種コードの「D10」で記載されることが多く、通称として「テン」「ディーテン」と呼ばれた。

解説

当初はアメリカ国内線で東西海岸を結ぶルートの機材として「座席数250席、航続距離4500km」の要求仕様で開発が始まった[1]。
同じ時期に同じコンセプトでライバルのロッキードがL-1011トライスターの計画を発表しており、熾烈な受注合戦が繰り広げられた。
もう一つのライバルであるボーイングは一部二階建て・四発のB747としてワンサイズ上、ヨーロッパ勢は紆余曲折の末共同開発として短距離用双発のA300で下のセグメントを狙っていた。
DC-10は1968年にアメリカン航空とユナイテッド航空から受注したことでプログラムが正式にスタートし、DC-10-10というサブタイプが割り振られた。
この時点ですでに長距離型の構想は立っており、1972年にはヨーロッパやアジアの航空会社から受注してDC-10-30としてローンチし、エンジン違いのDC-10-40と合わせてセールスの中心になっていく。

エンジンはロッキードC-5で実用化されたジェネラルエレクトリックTF39をベースに、民間向けに仕様を変更したCF6を採用した。
CF6エンジンは後にB747やA300など多くの機種で使用され、ワイドボディ機向けの高バイパスターボファンエンジンの標準として名を轟かせることになる。
左右のエンジンはDC-8で実績のあるウイングマウントで難なく落ち着いたものの、中央エンジンの設置方法が設計者の頭を悩ませた。
結果、ダグラスの出した答えはジェット機としては前例のない「垂直尾翼串刺し方式」(プロペラ機ではトライランダーがある)であった。
垂直尾翼部分の構造やラダー(方向舵)の小ささ、そして中央エンジンの整備アクセスなど課題が多かったものの、エンジンに空気がまっすぐ流入することを優先した。

ダグラスでは胴体のストレッチや構造強化により大型化・長距離化した派生型を作れるメリットを高く評価しており、DC-10でも将来の拡張ができるような設計になっていた。
これが後にセンターギアを追加して長距離型がベストセラーとなったDC-10と、基本型が足かせとなって発展に苦戦したL-1011の明暗を分けたポイントであった。

コクピットは当時主流であった機長・副操縦士に加えて航空機関士が乗務する3メン方式で、L-1011と異なり積極的な電子化は進めず機械式計器が中心であった。
客室は直径6.02mの太い胴体を活用してエコノミー横9列でも比較的余裕のある座席配置が可能であった。
エコノミーで2-5-2または3-3-3を基本として、日本航空などが採用した3-4-2の非対称配置や、国内線やリゾート路線向けの高密度な3-4-3の10列配置が見られた。
機体前方のAコンパートメントに横6〜8列配置の上級クラスが設置されることも多く、ボーディングブリッジを2本接続して上級クラスとエコノミーで動線を分離することができる。
中央列にも頭上荷物入れが付いており、これがL-1011と比べたときに乗客として大きなアドバンテージになった。
機内のエンターテイメントシステムとしてはコンパートメント仕切り部分にスクリーンとプロジェクター、通路上にブラウン管モニターが装備され、出発時に安全ビデオや巡航中に映画を上映するものが主流であった。
旅客型ではB747と併用する航空会社が多く、B747では大きすぎる中規模路線や、季節増便・チャーター便といった波動需要に対応するリベロ的な活躍が多い機材であった。

DC-10は後継機MD-11の開発に伴い、アメリカ空軍向けKC-10Aの納入完了となる1988年に生産を終了した。
エンジンの信頼性が向上したためB767やA300-600Rといった双発機がDC-10のポジションに下から食い込み、古くからのダグラスユーザーであってもMD-11ではなく後に開発されたB777やA330を含めて双発機にリプレースした航空会社も多かった。
売却された機体の多くは整備水準の高い航空会社で運用されていたことから状態も良好で、優良中古機として旅客型のまま運航されたほか貨物型に改修された。
貨物型は機体サイズに比べて搭載量が大きいことから中堅・中小の貨物航空会社で屋台骨を支えるなど第二の人生を明るく送った。
旅客型はオムニエアインターナショナルでの運航を最後に2010年代初頭に姿を消し、現在は貨物型と軍用のKC-10が運用されているのみである。


日本航空 DC-10
テクノエア DC-10 (ぼくは航空管制官2)

派生型

DC-10-10

CF6-6エンジンを装備する、アメリカ国内線向けに開発されたDC-10の基本型である。
DC-10-10CF(貨客転換・混載型)も存在し、後に貨物機改修となった機体も多い。
発注が多く納期待ちだった30型導入までのつなぎとして、貨物室に追加燃料タンクを装備して航続距離を延ばす改修が行われた機体(俗に10ER型と呼ばれる)も存在する。


DC-10-15

標高の高いメキシコシティ空港向けに、離着陸性能を向上すべくDC-10-10の機体に高出力のDC-10-30用CF6-50エンジンを搭載したスペシャルモデルである。
メヒカーナとアエロメヒコが発注した。


DC-10-30

センターギアを追加し、本格的な長距離機材としてヨーロッパやアジアの航空会社を中心にDC-10の販売に大きく貢献したモデルである。
高出力のCF6-50エンジンを装備し、さらに翼端を延長したことで全幅が3mほど広がっている。
床下貨物室にも燃料タンクを追加した30ER型のほか、貨客転換・混載型の30CF型、貨物型の30F型がある。
日本では日本エアシステム(現・日本航空)が30ER型を2機導入している。


DC-10-40

DC-10-30のエンジンを、B747と共通性の高いプラットアンドホイットニーJT9Dに変更したモデルである。
当初は30型よりも開発が先行していたため20型と呼ばれていたが、マーケティング上の理由により40型に変更された。
ノースウエスト航空(現デルタ航空)と日本航空の2社が発注した。
日本航空では20機が導入され、子会社の日本アジア航空とJALウェイズ(どちらも日本航空に吸収)でも運用された。
日本航空向けの機材ではセンターギアを外し最大離陸重量を減らした運用も行われていて、俗に40D型と呼ばれた。


MD-10

DC-10-10とDC-10-30に、後付け改修でMD-11で採用されたグラスコクピットを移植したものである。
航空機関士が不要になり、MD-11と操縦資格が共通化された。
ローンチカスタマーのフェデックスによる貨物型が存在するのみで、旅客型で改修されたものはない。


KC-10A

DC-10-30の軍用モデルで、空中給油輸送機としてアメリカ空軍から受注した。
空中給油装備以外は民間向けとほぼ同一であり最後期まで生産が行われていたため、日本エアシステムのように生産終了間際の駆け込み発注を可能にした。
輸送機としての搭載量は当時C-5ギャラクシーに次ぐ二番手であったが、民間の旅客・貨物機と同様に地上支援機材が必要なため設備の整った基地間の定期・不定期輸送に使われる。


未成計画

DC-10-40と同様にエンジンをロールスロイスRB211に変更したDC-10-50計画がイギリス系航空会社に提案されたが発注を得られず未成に終わっている。
また、「DC-10ツイン」として中央エンジンを取り除き双発としたモデルや、「DC-10スーパー60シリーズ」と呼ばれる胴体ストレッチ型などが検討された。[2]


発展

DC-10の基本設計をベースに胴体延長、新型エンジン、グラスコクピット、ウィングレットの採用などで新世代化したMD-11が開発、生産されている。


スペック
DC-10-10 DC-10-15 DC-10-30 DC-10-40
全長 55.5 m 55.0 m
全幅 47.3 m 50.4 m
全高 17.7 m
巡航速度 965 km/h
航続距離 6,110 km 7,010 km 10,010 km 9,265 km
最大離陸重量 195.0 t 206.3 t 259.4 t 251.7 t
エンジン GE CF6-6D 18,144 kg ×3 GE CF6-50C2 24,510 kg ×3 PW JT9D-59A 24,040 kg ×3
座席数 250〜380

主要カスタマー
日本

日本航空/日本アジア航空/JALウェイズ
40型 (1976-2005 発注20機/運航20機)

日本エアシステム/ハーレクインエア
30ER型 (1988-2000 発注2機/運航2機)
ヨーロッパ

スイス航空
30/30ER型 (1972-1992 発注13機/運航14機)
30ER型のローンチカスタマーになり主力機材として運航。

イベリア航空
30型 (1973-2005 発注9機/運航12機*)
余裕を持って大西洋を越えられる航続距離が導入の決め手。

コンドル航空
30型 (1979-2000 発注2機/運航5機)
リゾートチャーター便向けの機材として重宝された。
北アメリカ

フェデックス
10/30型 (1980- 発注11機/運航93機)
MD-10としてコクピットを更新改造するほどのお気に入り。

コンチネンタル航空
10/30型 (1972-2001 発注18機/運航47機*)
洋上飛行をする路線も多く当時は3発エンジンが頼もしかった。

ノースウエスト航空
30/40型 (1973-2007 発注22機/運航46機)
旅客型の世界最大カスタマーで日本路線にも就航していた。

ジェミニエアカーゴ
30型 (1995-2008 運航12機)
機体サイズに対して搭載量が多く中古貨物機は人気だった。
南アメリカ

ビアサ航空
30型 (1977-1998 発注3機/運航7機*)
南米主要カスタマーの一つで長距離路線に活躍した。
その他

オービスインターナショナル
10/30型 (1991- 運航2機*)
発展途上国の医療向上のため空飛ぶ眼科医院として活躍。
* 短期リース機および、部品取りのために取得し実際に運用されなかった機材を除く

事故・インシデント

DC-10は世界的にセンセーショナルな事故が多く、逆に同時期のライバルであるL-1011トライスターやA300の事故率が低かったことから「事故率の高い旅客機」の代名詞として扱われているが、操縦や整備の不良によらない機体そのものの故障が引き起こした事故は2件である。
以下では日本国内で発生したもの、日本発着便が関係したもの、社会的に大きく影響を与えたものについて記す。


ガルーダインドネシア航空865便 福岡事故

1996年6月13日、福岡空港にてガルーダインドネシア航空865便のDC-10-30(PK-GIE, 1979年製造)が16滑走路から離陸に失敗してオーバーランし炎上、死者3名。
事故調査の結果、右主翼の第3エンジンが離陸中に破損したが機体は離陸決心速度(V1)を超えていたため離陸を継続すべきところ、パイロットが離陸を中止したことにより発生したとされた[3]。


日本航空958便 駿河湾上空ニアミス事故

2001年1月31日、日本航空958便のDC-10-40(JA8546, 1981年製造)と同社907便のB747-446D(JA8904)が駿河湾上空11000mで空中衝突寸前の状態になり、回避操作によりB747側で約100名の負傷者が発生した。
管制官が回避指示を出す機体を誤ったことを主とする複合的な要因により発生したと事故調査では結論づけられたが、TCASと管制指示が矛盾した場合の規定がなかったことも大きい。
事故後TCASを優先することが明文化されたが、1年半ほど後の2002年7月1日にスイスとドイツの国境付近で同様のTCASと管制指示が矛盾したことによる空中衝突事故が発生し教訓として活かされなかった。


JALウェイズ58便 福岡エンジントラブル

2005年8月12日、JALウェイズ58便のDC-10-40(JA8545, 1980年製造)で左主翼にある第1エンジンタービンブレードが破損して部品が地上に落下した。
乗客乗員に怪我はなく機体損傷はエンジンに留まったため法的には重大インシデントにもならなかったが、地上で5名が負傷した。
日本航空123便墜落事故のちょうど20年後の同じ時間帯に、ガルーダインドネシア航空事故の記憶も強く残っている福岡で発生したため社会的に大きく取り上げられ、結果として日本航空グループではDC-10の退役を繰り上げを決定し晩節を汚す結果となってしまった。


トルコ航空981便 パリ事故

1974年3月3日、パリ・オルリー空港を離陸したトルコ航空(現ターキッシュエアラインズ)981便のDC-10-10(TC-JAV, 1972年製造)が上昇中に墜落炎上、死者346名。
ロックが不完全だった後部貨物ドアが与圧に耐えられずに吹き飛び、その際に発生した急減圧で客室の床と操縦系統が破壊されて事故に至った[3]。
ダグラスは試験飛行中から欠陥を認識し、実際にアメリカン航空で類似の状態から奇跡的に生還した事故(アメリカン航空96便ウィンザー事故)がありながらも販売継続を優先して小手先の対策にとどめていた。
まさに防げた悲劇であり、実際の事故率以上に「危険な機種」というイメージがつきまとったのはメーカー自身の姿勢によるものも大きい。
事故機は全日空が発注、製造されたもののロッキード事件によりキャンセルとなり、トルコ航空に新古機として納入されたものであった。


アメリカン航空191便 シカゴ事故

1979年5月25日、シカゴ・オヘア空港にてアメリカン航空191便のDC-10-10(N110AA, 1972年製造)が32R滑走路から離陸直後に左主翼の第1エンジンが脱落して墜落炎上、死者273名。
アメリカン航空ウィンザー事故やトルコ航空パリ事故の前科があるため、当初は機体の欠陥が疑われ世界中のDC-10が運航停止となった。
離陸直後で機体状態がまだ安定しない中にエンジンがパイロンごと脱落したため操縦不能に至り、原因はメーカー推奨の整備手順から逸脱した不適切整備によるものと判明した[3]。


ニュージーランド航空901便 南極事故

1979年11月28日、南極・エレバス山にてニュージーランド航空901便のDC-10-30(ZK-NZP, 1974年製造)が巡航中に墜落、死者257名。
磁極に近く磁気コンパスを使った航法ができない極地特有の条件に加え、雪氷により視界全体が真っ白になるホワイトアウト現象により飛行ルートを誤って地表に激突したものであった[3]。
パイロットエラーによるCFIT(Controlled Flight Into Terrain)事故であり、機体システム自体に起因するものではなかった。


ユナイテッド航空232便 スーシティ事故

1989年7月19日、スーシティ・スーゲートウェイ空港にてユナイテッド航空232便のDC-10-10(N1819U, 1971年製造)がエンジンと油圧系統の故障により緊急着陸を試み横転炎上、死者111名。
機体尾部の第2エンジンが巡航中に破損し飛散した部品がエンジンナセルを突き破り、油圧配管を直撃したことで3系統ある油圧がすべて使用不能になったことが原因とされた[3]。
油圧によって動くエルロン・エレベーター・ラダー・スポイラーといった操縦翼面が全く動かない中、残った2基のエンジン推力調整だけでほぼ操縦不能の機体を滑走路まで導き緊急着陸させたが、接地後にバランスを崩して横転した。
乗客乗員全員死亡が想定された中で奇跡的に半数以上を生還させ、アロハ航空243便ヒロ事故やUSエアウェイズ1549便ニューヨーク事故と並ぶ「ミラクルランディング」の一つに挙げられる。


参考文献

1. 「BOEING JET STORY」 イカロス出版, 2009年
2. 「旅客機型式シリーズ1 DC-10/MD-11 & L-1011」 イカロス出版, 2000年
3. Aviation Safety Network


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